D2Cとは札束の殴り合いをする大企業に対し、愛と正義で勝つ方法のことなのかもしれない。

D2C(Direct-to-Consumer) 仕事の中で感じたこと
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こんにちは、FABRIC TOKYOの森です。
引き続き多くの方々D2C関連の相談が毎日耐えず、お陰さまで考える機会に繋がっており、ありがたい限りです。

昨日東京の街を歩いていた際に、ふとこのように思ったんです。

「D2Cとは札束の殴り合いをする大企業に対し、愛と正義で勝つ方法のことなのかもしれない。」

と。
スタートアップだけではなく多くの大手企業がメーカー直販モデルを取り入れ始めている昨今(スタートアップのコピーキャットなんかも多く出ていますね)、大手企業は立ち上げの際に聞く限りは、驚くほどの金額を突っ込んでいるんです。(スタートアップの我々からしてみたら信じられない金額です。。)
しかし残念ながら、順調にうまく立ち上がっている大手ブランドは決して多くありません。10%も無いんじゃないでしょうか?資金潤沢な大手企業が商品開発やサプライチェーン・そして広告宣伝に大枚かけてもなかなか立ち上がるものではないのだなあと傍目で観察して思っているのですが、このビジネスモデル分野もなかなか甘いものではないということです。

札束の殴り合いに参加すると沈没する

考えたら恐ろしいことです。こんな大手企業と対峙するスタートアップの資金は限られています。しかし涼しい顔をして市場に参入してくる大手企業が大枚を叩いて広告宣伝で面を抑えてくるのです。その名の通り、札束の殴り合い勝負を仕掛けてくるわけです。
スタートアップはそんな大手企業と戦わなければならないわけですが、パイの奪い合いになった上、運転資金は日に日に目減りしてくるし、資金調達をしようにも、競合環境が悪くなったと判定されると資金の出し手も財布の紐を固くするかもしれません。
(でも1年もしたら大手企業はそこでかけたお金を回収できないことがわかり、事業の縮小または撤退を判断していくというケースも多分にある)

さて、こんな状況から我々スタートアップはどんなことを学ぶ必要があるのか?それは冒頭の通り、「札束の殴り合いで勝負を仕掛けてくる大企業に対して、D2Cスタートアップは愛と正義で勝ちましょう」ということです。

愛と正義とは?

まず愛について。
愛とは顧客とのつながり、ということです。Takram佐々木さんの書籍D2Cでも、ブランドと顧客の関係は「お客様からファンに変わっていく」とあります。短期的な取引関係であった以前の関係性から、長期的な対話関係になっていくということです。
もっと具体的に言うと、ブランドと顧客の関係は、ブランド側が作ったものをただ単に購入するという関係から、顧客もブランドのものづくりに参加していく、ダメなところは積極的にフィードバックを行い、より良いブランドを作る共創関係になるといった形です。商品単体だけでなく、ブランド全体(コンセプト、哲学、etc)に対して愛着と信頼を持ってもらうということになります。
ブランド側は愛を持って顧客と関係づくりをし、顧客のライフスタイルの進化をサポートします。

次に正義について。
2020年代において、ブランドが持つべき正義感の重要性は更に高まっていくことでしょう。情報化社会の現在、私たちは数多くの危機に晒されています。地球環境の汚染問題や疫病、人間社会の差別問題などです。特にぼくたち日本人の記憶に焼き付いて離れないことは311の地震被害と原発問題です。
それと同時にあらゆる業界で「不都合な真実」もどんどん明るみになっています。不動産業界や製鉄業界での不正隠蔽問題、飲食業従業員による食のイタズラ、アパレル業界のブラック労働などです。
我々消費者は非常に敏感です。こういった不誠実な対応をする企業を応援することが出来ないのです。こんな時代こそ、「真の正義感」を持った企業が世の中には必要です。サステナブルなプロダクト作り、インクルーシブな取り組みを行う企業が支持される時代なのです。

D2Cは愛と正義で戦おう

いくらスタートアップの資金調達環境が良くなったとはいえ、我々スタートアップには大手企業と札束の殴り合いを繰り広げる資金力があるわけでは決してありません。今は資金が回っているD2Cブランドでも、広告に依存した顧客獲得は近いうちに限界が来るでしょう。上記を踏まえて、愛と正義を武器にし、札束の殴り合いでは獲得し得ない顧客との関係性を手に入れることがD2Cスタートアップには求められるのではないでしょうか。
言うなればD2Cスタートアップが考える愛と正義とは、短期的に財務諸表のP/LやB/Sに載ってこないことにどれだけ取り組めるかということになるかもしれません。短期的に財務諸表の科目には決して数字として反映されないが、確実に価値として載ってきて、長期的に見れば数字に現れる類のものです。※このあたりは長くなるので、別で筆を取るとしましょう。